広島高等裁判所松江支部 昭和27年(う)193号 判決
所論に鑑み、訴訟記録及び原裁判所が取り調べた証拠を精査するに、被告人が鳥取警察署における取調の際には終始犯行を否認し、検察庁においてのみ、係官の取調に対して自供していることは、所論のとおりであつて、右自白の内容を他の各証拠と対比して仔細に検討するに (1)本件自転車の被害場所である鳥取市行徳椿本清信方の軒下は、大黒座の西方二〇〇米位の地点にあり、大黒座前を東西に通ずる幅員約一五米(約八間)の幹線道路に面しているが、右自白によれば、本件自転車を窃取した場所は、梶川、行徳方面から吉方に赴く途中、大黒座前を通り抜けてから道幅三間位の幾分広い通りに出た所にある家の軒下となつているから、被害場所と自白にいう犯行場所とが、家の軒下という点を除いては全然一致しない。(2)被害当時の状況については、椿本清枝(椿本清信の娘、当時二二才)が、被害場所から一五米位東方の路上で、年令二〇才位の若い(と感じた)男が本件自転車を窃み、それに乗つて其所から吉方方面に向うのとは正反対即ち西の方千代橋方面に逃げる背姿を認め、大声で「おぢさん」と被害者河本達明を呼んで、自宅の戸口まで走り帰り、偶々戸口の硝子戸の内側と外側とでその戸の修理に気をとられていた、被害者河本達明と清枝の父椿本清信に右目撃の状況を急報したので、右両名は直ちに犯人を追跡したがその行衛が判らなかつたことが明らかであり、椿本方軒下附近に他の自転車が放置してあつた形跡が認められないのに、右自白では、犯行現場まで米櫃やお釜等の荷物を積んで来た自転車を道の脇に置き、軒下にあつた自転車を持つて来て荷物を積みかえた上、吉方方面に運んだということになつて居り、被害状況と自白に係る犯行状況とが全然一致しない。以上二点のみでも、右自白が真実に及し信憑力に乏しいものであることは、既に決定的であるが、更に、自白にいう窃取の動機もその合理性は極めて薄弱で、輙くは首肯し難いものがあり、他面被告人の実兄幸吉は、被告人に関係なく独断で本件自転車を鉄屑と一括して、かねてから知合の朝鮮人に代金一、二〇〇円で売却した事実があり、又、幸吉は本件発生当夜、本件類似の別の罪を犯し、その頃起訴されて有罪の裁判を言渡された事実もあつて、これ等一連の事実に照せば、本件自転車を窃取した犯人は被告人以外の者ではあるまいかとの疑問も強く起つて来るので、右自白は愈々以て措信し得ないものというべく、これを以て犯罪事実認定の資料とすることは軽率であるとの譏を免れない。原審における証人林幸吉、林貴美男の各証言中、被告人が自己の犯跡を隠蔽せんがため、幸吉の弐男であり被告人の甥に当る貴美男に対し、被告人のためその身代りとなつて虚偽の自首をして呉れるよう哀願したかの如く口吻の供述部分があるけれども、右各証言は到底これを措信するに足らないものであり、却つて原審公判審理の際の被告人の供述や司法警察員に対する被告人の供述は、何等の矛盾もなく本件の真相に触れるものであり、当裁判所が行つた現場における検証及び証人河本達明、椿本清枝、林貴美男、林芳子、林日出春、林いしに対する尋問の結果は、叙上の如き判断が誤謬でないことを裏付けして余りあるものということができる。然るに、原審においては、叙上の如き被告人に有利な点については眼を蔽い、前叙信憑性に乏しい証拠によつて、被告人を以て真犯人なりと断じたのであるが、原判決には事実の誤認があり、而かも、右誤認は判決に影響を及ぼすことが明らかであるから、原判決は到底その破棄を免れない。